​坂田明×ジム・オルーク×山本達久

 この度演奏する、trio 坂田明、ジム・オルーク、山本達久、はもう長い間、いろいろな形で別々にも一緒にも共演をしてきた。

それは10年を超えている。

 人の違いは役割分担でもある。違いが組み合わさることが面白い。我々は様々な状況の中で演奏してきたし、これからもそうであろうと思う。

 我々のやる音楽については、言葉では説明のしようがないので、表現行為の一つの方法で音を使う事を選んだわけだ。その音の世界は風景に接するのと同じことではないかと思う。風景は見るものだと思うのが、常識的だが、我々は全身の感性を風景の前にさらけ出すこともできる。つまり体全体で風景を浴びることになる。音の世界も体全体で浴びることで体の全感性が限りなく開くであろう。振動する音のシャワーによって解放され、体の芯やら、どこやらを妙に震わせたり、ま、様々なことがおきる。

 

 まれにではあるが隣の女性に噛みついたり、抱きついたりする輩がでないとも限らない。すると、隣の女性が腹を立てて「何するのよ!」といって相手の頬にビンタを三パ24発かましたり。もちろん無言でその場を立ち去る人もいるし、叔父さんに借金をしたり返したり、俳句を詠んだり、挙句の果てには炊き出しをする等々、それはもう千差万別雨あられ。予知不能である。いわゆるエントロピーの増大である。なんだか知らないうちに寝てしまう人もいるが、そっとしてあげたいものだ。ただし、鼾をかいている場合は、うるさいからといって拳骨などをかまして起こさず、脳卒中の場合を考慮して、直ちに救急車を呼ぶことが望ましい。

 

 さて、演奏者から見れば、油断禁物で「向かうところ客なし!」という状況も含める必要がある。そんな事で驚いているようなミュージシャンはいかがなものか?!ね。ご存知のごとく、毎晩月夜なわけないし、いつ地震が来るかわからないからといって、出会いがしらの男とはすぐホテルに泊まれない。せめて数時間は置きたい。「人としての道理をわきまえろ!!」

 

 私たちは自分の経験値であらゆるものを理解しようと試みるが、それはひとまず悪くはないだろう。だが、その経験値をはるかに超えたものに出会うと、たいていの人はお手上げになる。客席総立ち、朝立ち、夕立、お立ち台、という、さあどっからでもきやがれ!その時に何を思うかはみんな自由である。願わくば今日も聞こえてくる音達の振動と、あなたの体のどこかが共振して、ナマズとウナギが気持ち良くなるであろうことを

(文:坂田明 坂田明、ジム・オルーク、山本達久の Trioについてのうやむや)

坂田明(Sax,Vo)

ジム・オルーク(gt)

​山本達久(ds)

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2019

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